<   2013年 11月 ( 14 )   > この月の画像一覧

親、兄弟、自分のこと ~高校生のころ~

高校生。


全寮制。
生徒は全国、いや海外からもやってくる。
自分ちが事業やお店をしていたりという裕福な子も多かった。
というか、ある程度のお金を必要とする学校だった。

普通の授業料の他に、寮費、食費、小遣いなど、恐らく年間150万はくだらないのかなと思う。
我が家、授業料は免除されたとしても、寮費や食費などを支払うのすら大変だった。
半年に1回送られてくる振込み用紙持っていつも母が必死にやりくりしていた。
だから、せめてもの自分が使う小遣いくらいは長い休みを使って稼いだ。


楽しみにしていた寮生活は、想像していたより大変だった。
1年~3年まで混ざった4~6人部屋。
8畳の和室がみんなが過ごし寝る部屋、自分のスペースは机とイスとスチール本棚。(後ろは廊下だから後ろ姿は丸見えね)
何しろほっとする時間がない。

朝起床 → 掃除 → マラソンして全校集合しラジオ体操、朝礼 → 食堂で朝ごはん → すぐ寮に戻り学校へ向かう

夕方学校から寮に戻ってきても、部活に行く人はいったり、放課後に洗濯をしたり忙しい。
キツイ部活なんかしてる場合じゃないと思い、わたしは夏は水泳部&冬はソフトボールに入った。
これはこれでゆる~く楽しく過ごした。

部活が終わった夕方からがまた忙しくなるわけ。
5分で風呂⇒ 17:30同室全員で食堂(夕飯) ⇒18:30掃除 ⇒19:00夕礼 ⇒19:30~21:00自習時間 ⇒21:00部屋で団欒 ⇒22:00消灯 ⇒ 24:00完全消灯

下級生はとにかく働く働く、常に動くことと上級生に気を利かせることが一番大事なことだった。
ひとつ上にも素晴らしい敬語を使わなきゃいけない。
自分のことは「わ・た・く・し」ね、始めて聞いたときはひいた。

20歳を過ぎたときにたまたま自衛隊勧誘ビデオを見たとき、この寮生活とそっくりだったのはびびったよ。

女子寮でもそんなだから、男子寮はもっと可愛そう。
いじめ、パシリ沢山あったみたい。
だから寮から脱走する人や、強引に帰省しちゃう人、退学する人も結構いた。

わたしは
学校の授業が唯一のほっとできるひとときだった。
申し訳ないが、本当によーくすやすやと寝てた。
だから今だに座って話を聞くとき興味のない話はソッコー寝るのが得意。

1年の時は、ひたすら動けばよし、仕事を覚えたら文句いいながらも日々は案外容易かった。


1年の時、強烈に覚えてること。
音楽室で「北の国から」をみた。
純がトラックに乗せてもらい東京に向かう時、父さんが運転手さんに渡した泥のついた1万円札を純に渡す。
親が子どもを思う気持ち、子が親のことを回想する場面には、これまでになく無茶苦茶泣いた。

ドラマ“とんび”でも、上京する息子が荷物を詰めているとき父は悲しそうな顔をしているところ、これまた大泣き。
親子がそれぞれを思いながら離れ離れになるときのシーンには、無茶苦茶弱いようだ。


自分は親に「寂しい」とか「つらい」とかは、決して言えなかった。
そんなことを言ったら心配をかけるからって思ってた。
中2のあの時から、さらに親の望む「良い子」を目指していた。


一番つらかったのが上にも下にも挟まれる2年だった。
ストレスで盲腸になったくらい。
同室になった1年生をその子の個性を活かしながら指導していくこと、これまた大変な思いをした。
今思うと、自分を良く見せたい、良く見られたいから苦しんだんだと思うけどね・・
で、2年生のときに腹膜炎寸前の盲腸を患い、入院と手術、その後も自宅からしばらく通学した。
夕方仕事終えた母が、毎日のように私の病室にきてくれるのが嬉しかったこと。
こんなに気にかけてもらえるなんて、病人も悪くないな~って思った。


3年生。
自分は副寮長になった。
寮長や部屋長と一緒に寮全体をまとめていく。
ま~いろんな珍事件があったね。
いまでも笑い話は沢山ある。
多分3年の時が一番楽しめたかな。

この頃、将来何になりたいとかもなく、普通にどっかに就職できたらいいなと思ってた。
学校の勉強だけは良くしてたから、進路は麗澤大学に特別推薦(12月に終わる)で行く気満々。

当時は外国語学部しかなく、
英語⇒レベル高、偏差値高、こりゃわたしは無理だな。
ドイツ語⇒わけわからない、難しすぎて留年する人もいるとか
中国語⇒ま~日本語と同じ漢字だからここにいけばいいか

そんな感じ。



寮生活してたから、家族とのモメゴトもなかったね。
寮生活はこんなだったけど、家に帰っても自分の部屋もないし自宅に帰りたいとかという気持ちはなかった。

ただ、ひとつ覚えているのが、寮生活中のわたしが環状道路をマラソンしてたら、当時中学生だった弟がチャリンコで学校帰りにやってきて
「あねき~お金もってない?」と来たのは覚えてる。
「もってるわけね~だろ!」って怒ったけど、いまでも相変わらずなバカヤローだ。


春休み・夏休みはセブンイレブン、冬は郵便局でひたすら働いた。


高校3年生12月末に帰省し、3学期は希望者のみ入寮する(受験などある人や勉強に集中したい人)
わたしは無事、3年生の12月中に麗澤大学外国語学部中国語学科に特別推薦枠、面接のみでスルーパス!
だから、もう寮へは戻らず自宅ですごした。

そっからは、また大学入学に向けてのお金や、また普通免許取得へのお金をひたすら稼ぎ出す。

セブンイレブン、郵便局は辞めて、自宅近くの「おしゃれぎょうざ」という当時少し有名になったお店でウェイトレス、朝10:00~夜21:00くらいの1日11時間労働、休日もなかったけど必死に頑張った。
時給は確か700円、いままでの470円と比べたら雲泥の差、もう嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

そんな訳で、ひと月で20万以上をあっというまに稼ぎ出して、空き時間を見ながら免許講習を受けにいったり、高校卒業する3月には普通免許も無事取得。
でも、乗る車はもちろんないし、買う予定もなかった。


働くこと
中学生の頃の欲しいけど親には言うことも出来ないあの苦しさ辛さから比べたら、バイトで大変なことがあってもあまり大したことに思えなかった。
働けること、働いた分だけお金をいただけることが喜びでとても嬉しかった。
これは今も全く変わらない気持ち。


・・・

そんなわたしだから


働くことがあたりまえ
親から金をもらうなんてありえない


だから、弟のこの10年間がどうも許せない

自分の食扶ちくらい稼げよ
仕事を選ばずなんだってやってみろよ
親に金をもらって恥ずかしくないのか
そんなお前は生きている価値があるのか

とまあ、これがいつも行き着いていた想いでね。
今もたまに思い出す。
[PR]
by aromabiyori | 2013-11-30 05:10 | 自分探し | Comments(0)

11/30(土)ゴスペルライブ♪

猛ダッシュしたので、ちと休憩・・

~~~

ひとつ宣伝を。


明日11月30日(土)@アクロスモール新鎌ヶ谷にてブリリアントスターズ松戸支部のゴスペルライブあります!
時間 13:00~、15:00~


歌詞もろくに覚えてないわたしも参加します。
ぜひ遊びにきてね~~~


・・・

所属してるママさんたちは、かなりパワフルぅ~。
歌って踊ってみんなノリノリなの。
みてて爽快だよ。


わたし
自分を解放し、ホントの自分になるための一過程なんだろうなと思いながら。
ステージ楽しんできます☆
ひゃっほ~

f0248161_611997.jpg


: : :

さっき、沼ちゃんから突然メール。
「今ナオトテレビでてます~」って
朝からキュンキュンした~。やっぱ好きやわ~
f0248161_655522.jpg

[PR]
by aromabiyori | 2013-11-29 06:12 | 宣伝 | Comments(0)

親、兄弟、自分のこと ~中学生のころ~

中学に入り、私は軟式テニス部に。
素敵な先輩や好きな子を見て、ドキドキ楽しんでいたりするころ。

やっぱり年子の次男兄がじゃまだった。
あれが兄であると同級生にばれるのが、すごく嫌だった。
かっこも、頭も悪い。

だから、このころから人には家族のことを話すのをふせてきた。



中2のとき、わたしは万引きをした。
忘れもしない、柏高島屋のキティランド。
私服補導員にみつかり裏の部屋へ、すぐ親に電話され、母親が呼び出された。

中学生2年生。
どうしてもほしい文具や可愛い小物。
当時はお金もない。
ましてや親にいうことなんて到底出来ない。

近所の可愛い雑貨屋さんで、クラスの友達とグルになり、ひとつ万引きが成功したら、段々と気が大きくなってきた。
見つかったのは、恐らく3度目くらいの行為の時だったと思う。

補導員に、「お願いだから親に電話しないでほしい」とお願いしたけど、そんなことは到底無理。
補導員からの電話で、母親は電話口で「うちの子に限って・・」と言っていた。
あのタイトル通り、まさに親はそうやって思うのか
私は泣き崩れた。

母親は「学校の先生にはまだ電話しないでください」と言ってすぐ駆けつけてくれた。
親の顔を見ることすら出来なかった。
とにかく謝り通してくれて、商品代金も払い、友達と一緒に父が運転する車で帰った。
「神様はちゃんと見てるんだよ」って言ってた。

その夜、母と父は夜遅くまで起きて話をしてた。
自分のやってしまったことの重みと、親に迷惑をかけたどうしようもない悲しい気持ち。
翌朝、学校に行く時、思い切り母親に抱きついて「ごめんなさい」と大泣きしたことも昨日のことのように覚えてる。

この事件は兄弟にも黙っていてくれた。
以降、親はそのことを一切口にすることもなかったし、わたしも数年間苦しみ続け、潜在意識のほうにおいやっていたと思う。



他の子は持ってる。
でも、自分はない。
洋服もほしい。
雑誌も読んでみたい。
みんなと一緒に出かけたい。

お金はないけど、ほしいものがあり、でもそれを親にも言えないことが、とても恨めしかった。
あの家に生まれてきたかった、どうして自分はこんな家に生まれてきたんだろう。
自分がどうしようもなく世界一不幸に思えた時期。
早く高校生になってアルバイトしたいって思ってた。


唯一1回オネダリしたこと
当時オニャンコクラブが流行っていて、彼女たちが着ていた「セーラーズ」っていうブランドのトレーナーがどうしても欲しくて(お友達もみんな来ていた)これだけ母にお願いしたことがあった。

トレーナーが1万円!!!これにはびっくりしたけど(今だったらありえないね)、思春期でまだ幼い自分は欲しくて欲しくて、これだけ何とかお願いをした。
で、トレーナーだけあっても仕方なかったから、スカートをしばらくお友達に借りた覚えがある。
思春期、洋服はその一張羅、お友達には「いつもそれだね~」って言われたけど仕方ない。。

そう、自慢じゃないけど、中学の制服も何年越しのお年玉を貯めてちゃんと買ったんだよ。
私ってえらいよね。
うちはお金がない、親に無茶言っちゃいけないということを知ってた。


そう、お年玉の話をしよう。
うちは4人もいるからね、大体このパターン。
大人の世界では、いただく金額と、差し上げる金額を大体合わせるんだね。

長男 → いただくお値段は段々とあがっていく。長男だからなぜか一応皆さん気をつかうのか。
次男以下 → 一律1000円 

あけてもあけても、ことごとく1000円だった記憶。
だから1万円ためるのも大変だった。
そしてお年玉も、早々に中学2年くらいで全て終了。
この時ばかりは、長男っていいなって思った。

お小遣い
学年×100円ね。(6年生=600円。中学1年=700円・・)と。
大事なお金だったから、お小遣い帳もちゃんとつけてたな~。



お金のこと。
そんな暮らしをしてたから、私は早く働きたいってずっと思ってた。
高校になり、夏休みに自宅に帰省すると、40日間×8時間、ずっとセブンイレブンでバイト。
出かけることも旅行することもない。

寮生活をするにもやっぱりお金(小遣い)が必要だから、その分を稼がないとって思ってた。
忘れもしない時給470円のバイト。
自分で働いたお金を気兼ねなく遣えるのがすごく嬉しかった。


お金については今でこそあまり不安や執着もなくなったけど、35歳くらいまでは色んな思いがあったと思う。

・お金は、常に働いて稼いでいなければならない。
・お金を無駄に遣ってはいけない。

それこそ結婚して私がお金の管理をするようになったら、ノイローゼになりそうだった。
で、途中から旦那さんにバトンタッチ。気がらくになった。

今でも自販機でジュースなんてかなり抵抗があるし、つい自分にはケチ臭いことを考えてしまう。
みみっちい。
それも手放したいと思ってる。


そうだ
高校受験のこと
我が家は
麗澤にいくか、公立高校にいくかという、ふたつの選択肢。

麗澤にいけば親の関係で学費免除だったりという優遇もあったりするからヨシ。
落ちたら近くの公立か。

とりあえず親から離れたかったら麗澤を推薦で受験。
12月には合格し、かなり気楽だった覚えがある。


中3
クラスも楽しかった覚えがあるな~
好きな子もクラスにいたり。
両思いになって、付き合うとか付き合わないとか言ってて終わっちゃったけど、手紙交換とかしてすごく楽しかった思い出。
でも当時はちゃんと話も出来なかった。
いま、彼はどうしてるだろう。



中学生、いっちょ前に大人に近づきつつも。
そう、生理は中2でやってきた。
周りの子はほとんど来ていたから、自分大丈夫か?と思っていた矢先。
めんどくさいことが増えたけど、ちょっとほっとした。
母も嬉しそうだった。


周りと自分の状況を比較して不幸中の不幸と考えてみたり、一方、異性に大いに興味を持ったり
色んな思いが錯綜し、そんな毎日が楽しくもあり、苦しくもあり、今考えるととっても可愛いね

でも当時はホント大変な毎日だったんだよね~
当時の自分を沢山褒めてあげて、お洋服も雑貨も思う存分買ってあげたいよ。


★11月28日(木)参加者募集中☆ 定員制限なし
2013年11月度ホメオパシー&人生をより良く生きる勉強会
※毎月最終木曜日開催、2013年12月度は12/19(木)です。


「あなたと健康 2013年特別号」無料配布してます、ご希望の方お声かけください

ハーブコーディアルあります。どなたでもどうぞ

湯たんぽ、あります。どなたでもどうぞ

"肌にも、地球にもやさしい“ココナツ”洗剤あります。どなたでもどうぞ

サロンはこちらから
自然療法リラクゼーションサロン アロマ日和
[PR]
by aromabiyori | 2013-11-27 21:24 | 自分探し | Comments(2)

親、兄弟、自分のこと ~父のこと~

そう、父のことを少し。

私立の高校、大学を経て、国語の教師に。
おじいちゃんは柏だけに日立関係に勤めてたとか。
これまた頑固じいさん。
高校から私立に通えるんだから、当時としては少し裕福だったのかな。
教育に熱心なおばあちゃんだったらしい。


麗澤高校に就職先を決めたのは、生徒達の挨拶があまりにも素晴らしかったからと言ってたっけ。

母と結婚するとき、実は本を購入した20万くらいの借金があって母はそれを返済していくのが大変だったといってた。
私立高校の教師といっても広池学園の職員、当時7000円~1万円/月給だったそう、右肩あがりの日本だったけど、我が家は薄給でやりくりが大変だったと。


生前の父を思うと
短気、頑固、酒タバコ、本

どんな狭いアパートであろうと、自分の部屋(書斎)を持ってた。
子どもは勝手に入れない。
夜になると、ひとりデスクで安い焼酎を飲み、ピーナツを食べて晩酌をしてた。
そこはいつもタバコ臭くて、壁全面には書籍だらけ。
本、本、本。
文学的な古い本から何から、えらく沢山あったのを覚えてる。
で、引越しのたびにその本をまとめるのを手伝わされた。

本の中でひとつだけ嬉しかったこと、本棚には長谷川町子の漫画が全巻揃っていたこと。
父が不在の時は、こっそり部屋に入ってそれを良く読み漁ったなぁ。


母は、頑固な父と我々兄弟の仲を良く取り持ってくれていた。
父に直接いえないことを、母が父に上手に話してくれたり。
でも母とも良くケンカも言い争いもしてた。

わたしだけ女の子だから特別扱いされたわけでもなく、普通に厳しかった。
でも、長男兄は可愛そうなくらい叱られまくっていて、父は長男が憎いんだって思ってたくらい。

私は断然母の味方で、短気で何かとすぐ怒りまくる父なんていなくなればいいのにって思ったこともたびたびあった。

正直好きじゃなかった。
それは、高校の生徒さんにも同じだったらしく(怒りまくる)、やりたい放題の父にぞっとした。

忘れもしない小4のとき、、ちょうど包丁をわたしが持っていて、父の背中をみたとき殺意を抱いた。
わたしがこれで刺したら、家族みんなが幸せになれるかも・・って思いがよぎったんだ。
それくらい関係は良くなかった。
その後も、そのことをたびたび思い返すこともあった。
「あの時やっちゃってたら・・今頃みんなが幸せだったのに」って。

人が人を殺すなんてことは絶対しちゃいけないことけど、そんな事実があったりすることは、そうせざるを得ない事情があるのかもしれないって思うこともある。
ちょっと悲しいけどね。

岐阜にいた小4の冬、いわゆる夫婦の夜の営みの様子(@父の書斎)を始めて聞いたとき、私はそれがなんだか良くわからず、布団をかぶり音が聞こえないようにしてたけど、こわくて仕方ない長い長い夜だった。
怖すぎて多分泣いてたと思う。

中2のとき、これがそういうことだと知ったときは、気持ち悪すぎてしばらく親の顔をまともに見れなかった。
結構なトラウマだ。


自分が中学に入ったら、ますます父が生理的に嫌で仕方なかった。
近寄ってこようものなら、さっと逃げる。
必要以外は、まともに口もきいてなかった。


自分が麗澤高校に入学し、寮に入り父と距離が出来ると少しだけその気持ちはおさまった。
寮に入るときや、長い休みで帰省するときは、必ず父が小さな黒い軽自動車で嬉しそうに迎えにきてくれてた。
でも、車の中ではたいして話もしない。

その頃は既に、父は高校とは全く違う部署にいき、親と子で先生・生徒という関係はなかったから有り難かった。
厄介なのは、父の教え子たちが先生で沢山いるということ。
「田中先生(わたし旧姓田中デス)は、おっかなかったよ」と先生たちから沢山聞かされ、すごく嫌な思いをした。
たまに良いうわさを聞くとほっとした。


高校教諭のときは、どうやら演劇部の顧問をしたりしてたことも、亡くなってから知った。
自分で脚本書いたりしてたみたい。
そんなロマンチストだったんだ、意外な事実。

わたしが、一番驚いたのが、父が小学3年生くらいから亡くなる直前まで日記を書いていて、しかもそれをずっととってあったこと。
最初はびっくりするくらい下手くそな字で
何十冊もあったからとびとびでしか読んでないけど、結構面白かった。

その中でね、
わたしが26歳で自宅を飛び出したときのこと、父なりの心配する気持ちを綴ってあったのにはむせび泣き、そばにいた母と長男がびっくりしていた。

実際の飛び出したきっかけは、夜遊んで帰宅すると酔っ払った親父が「こんな遅くなるなら出て行け!」といったから、私は“やった!チャンス””と思って
「は~い!明日早速出て行きます」といって、そこから実家を出てしまったわけ。


学生や社会人になっても
夜帰りが遅くなると、酔っ払って大声で怒鳴ったり、鍵かけて締め出したり、ホントあれにはいつも腹がたった。
だから、自宅に帰るのも苦痛だったし、玄関に入るのにいつもドキドキした。

ただ、高校のときから我が家はバイトだけは推進していて、バイトに行くという理由なら父は良い気分だったらしい。

だから、学生時代は死ぬほどバイトしたし、1-2ヶ月のリゾートバイトも散々いってあまり家にいなかった。
自宅じゃないから、かなりお気楽だった。


22歳のとき、中古の自宅を建て替えて、新築にした。
新しい家で始めて向かえた夜、あの時の嬉しそうな父。
始めて少し可愛いなって思えた。


小さい頃、父にそっくりといわれることが私はイヤでたまらなかったけど、父は案外嬉しそうな顔をしてたのも印象的。

いま思い出しても頑固親父だったな~と思いかえす。
夢を見るとき、父はいつも生きてる頑固親父。


父は
弟に対しては、金銭的にも愛情的にもそそいでた。

一番の忘れられない出来事
父の集めていた切手シートを売り払って、小1だった弟にラジコンを買ってやってたこと。

我が家ではそんなことは到底有り得なくて
兄達と一緒に「お父さんは弟に甘すぎる!」と母に抗議しまくった。
決して父には直接言うことなんて出来ないから、みんなで母に怒りまくった。


長男、中学1年、お小遣いやお年玉をためて、アディダスのジャージを買ってきたら怒る。
長男が中3、CDを買ってきたら怒る。
意味わからないでしょ。
それくらい頭が固い。

そんな父が、なんで弟だけに自らラジコン?
アホか!と思った。
これは今でも長男との笑い話。


弟が社会人になっても、中古の車が買いたいと言えば、父は親子ローンといって喜んで弟に金をかしてた。
ばっかじゃね~の。
我々上3人のときには、ありえない話。
で、それは完済されることなく父は死んじゃったけどね。


弟を甘くしすぎた父が死んだ。
死んだ父を恨んだこともあった。
「あんたがこんなにも甘やかすから弟がこんなふうになるんじゃないか!」って。
死ぬなら一緒に(弟も)連れてってくれよ~!って心から願ったことも。

父が死ぬ間際も、弟はすでに正常ではなく、涙を流すこともなくおかしな振る舞いをしていた。
「お前が親父から一番愛情もお金も注いでもらったんだろ、お前がどうにかしろよ」って思ってた。

あの頃は
父への怒りと、弟への怒りが交互に湧き起こっていた。


ふう・・
父とのこと、思い出していたらかなり疲れた・・


★11月28日(木)参加者募集中☆ 定員制限なし
2013年11月度ホメオパシー&人生をより良く生きる勉強会
※毎月最終木曜日開催、2013年12月度は12/19(木)です。


「あなたと健康 2013年特別号」無料配布してます、ご希望の方お声かけください

ハーブコーディアルあります。どなたでもどうぞ

湯たんぽ、あります。どなたでもどうぞ

"肌にも、地球にもやさしい“ココナツ”洗剤あります。どなたでもどうぞ

サロンはこちらから
自然療法リラクゼーションサロン アロマ日和
[PR]
by aromabiyori | 2013-11-27 16:37 | 自分探し | Comments(0)

親、兄弟、自分のこと ~お母さん~

やべ、話したい(放したい)書きたい衝動に駆られてます・・



4歳までは千葉県柏市、5歳~10歳までを岐阜県瑞浪市ですごす。
11歳からはまた柏市にもどる。

これは父の転勤で。

父は私立麗澤高校の国語教師をやってた。
堅物
酒飲み
ヘビースモーカー

母は、母の故郷、三重県四日市から柏にある広池学園ということろにお手伝いにきていた。
そこで父と知り合う。

物心ついたときは4階建てのアパートの2階に住んでた。(社宅)
この頃は、父も母も良くケンカをしていた。
酔っ払いの父相手に母はどうしようもなくて、おばあちゃん(父の母)に電話をして助けを求めてたことが何度もあった。
わたしは、3-4歳だったけどすごくドキドキして恐かった記憶がある。

この頃に、間違いなく近所で沢山隕石がぷかぷか浮いているのをみたんだけど、でもそんな事実はないらしい。
不思議な体験。

年長になる前に岐阜へ引越した。
とてつもない田舎、あたりは山と畑だけ。
山奥に、姉妹校である麗澤瑞浪高校があった。
そこに隣接した職員の住宅。


年長で岐阜の幼稚園にいったら、田舎独特のいじめみたいのがあった。
まず、言葉が違うからね。
園舎も汚くて、トイレも恐かったイメージ。
お昼寝もうまく出来なかったような。
幼稚園年長、あまり良い記憶がない。
残ってた写真も暗い顔してる。


小学校へは片道1時間(4キロ)毎日分団登校で歩いていった。
これしか知らなかったから、文句も言わず歩いてたけどね。
だから、今のチビの登校する距離2.2キロ位なんてどってことない。
帰り道は、仲良しのお友達とその頃流行っていた“トップテン"や“ベストテン”を真似て歌を歌いまくって帰ってきたっけ。
楽しい思い出。

クラスは1学年2クラス、なんと「い組」と「は組」。
渋すぎるでしょ~
校舎も何百年?もの平屋の古い校舎。
もちろんボットン便所、恐怖だった~。

松本伊代ちゃんが16歳でデビューしたのは衝撃的だった。
寺尾聡の「ルビーの指輪」も歌いまくったな~。
だからなのか、いまも俳優の寺尾聡が大好き。
「博士の愛した数式」は最高。


この頃、ほぼ自給自足のような生活で、母は近所に畑をつくってほぼ1日野良作業。
ニワトリを10羽飼ったり、うさぎや犬を飼ったりも。

学校から帰宅する時には、畑でクワもって「お帰り~」って手をふってくれていた母が印象的。
うさぎが死んだ時のことを、私が悲しまないように知らせてくれた母も忘れられない。
泣きながら一緒に畑に埋めた。

雨の日は家にいてくれて、当時ランドセル(リュック)につけていた綺麗な音色の鈴でわたしの帰宅が分かると、ストーブで自家製クレープを焼いてまっててくれたのも甘い思い出。

こんな田舎では外食なんてこともほとんど無くて、たま~に瑞浪駅まで買出しにいき刺身を食べたら、エライ不味く、私はお刺身が大嫌いになった。
肉も硬い肉しか知らなかったからね、当然嫌い。

その後、大人になってから留島お姉ちゃんからご馳走になったカウンターのお寿司屋さんでの極上お寿司に衝撃を受けた。
それからお寿司や刺身が好きに。


この時、唯一の習い事であったピアノ、多分付き合いで友達のお母さんに習うが、これまた教え方が厳しく早くやめたくて仕方なかった。
うちにピアノなんてないのに、なんでピアノを習うんだ?と思ってた。


この頃の兄弟。
とにかく食の生存競争が激しかったぐらいか・・
小4までの間だから、ま~適当にケンカしながらも仲良く?過ごしてたのかな。
弟と母の畑の水遣りのお手伝いして、畑で遊んだのもよく覚えてる。
里芋の葉っぱが何しろ大きかった。

この頃、近所のおばちゃんが午前中からテレビをつけてお菓子食べてお茶を飲んでいるのが羨ましく見えて、わたしも早くおばちゃんになってこんな優雅な生活したいな~って思っていたのを覚えてる。
世間もしらない、何もしらない、この頃の夢はなかったに等しいね(笑)
多分、夢を持つということ自体が良く分からなかった。


ただ、16歳の伊代ちゃんを見て、16歳でデビューしたらお母さんを早くラクにさせてあげられるな~喜ばせてあげられるな~ってぼんやり思ったことも。
まだ若干9歳なのにね。
かわいいな自分。


遊びといったら、みんなで基地作ったり、キックベースやったり、近くの山を登ったり、とにかく外。


そう
小4のクリスマスプレゼントは、ローラースケートをお願いして叶ったのも覚えてる。
靴に装着するだけ、今考えると簡易式のローラースケート、嬉しくて嬉しくて毎日練習した。


小5になるときに、柏へもどる。
やっと田舎から脱出できる!
憧れの「そごう」もある、レストラン「すかいらーく」もある。
めちゃめちゃウキウキした。


ただ、もどってみてアパート4階から見てもどこにも山が見えない。
岐阜はあたり一面360度山だったのに、、、関東平野というのはこういうことかって。
山が見えないのは、ちょっと寂しかった。
多分、山に恋焦がれているのは、これが理由なのか。


小5、クラス数は6クラス。
学校の転入生だけで30人くらいいた。
都会はすごい!と驚いた。


田舎の方言を話す自分が恥ずかしかったけど、標準語にすぐ慣れた。
お友達もすぐ出来た。
この頃、自分は“ひょうきんミホ”でとおっていた。


友達に陸上部に誘われて、一緒に入る。
朝練、夕練、案外しんどかった思い出。
わたしは、幅跳びと長距離担当に。
結果を残すわけでもないけど、それなりに頑張ってたのかな。


学校のマラソン大会では上位入賞、そして運動会ではリレー選手。
一位には決してなれないけど、走るのはそこそこ速かった。
運動会やマラソン大会を楽しみにしてる母を喜ばせるのは嬉しかった。


小6になったら、どういう流れだったのか、自分が白組の応援団長になることに。
みんなをまとめることや、応援合戦の内容を考えたりと、夜も眠れなくなるくらい悩んだ。
眠れなくてシクシク泣いてたら、母にビールを勧められ、苦いビールを始めて飲んだ。
いまやこんなに美味いのにね。


このころ
異性を意識したり、好きな人が出来たり、兄弟の存在は本当に嫌だった。
こいつらお願いだから消えてくれ~って思ってた。

・ ・ ・

この頃の自分、すべてお母さんを喜ばせるため、お母さんが自分のよりどころ
いつもお母さんのため


振り返ると、甘く優しい思い出が沢山あるな~


でも、母は4人の子どもの母であったから、わたしのものだけじゃない
いつも取り合い、へしあい
お母さんに甘えたい時、話をしたい時にいつも邪魔者がはいるのが日常茶飯事
くそ、あいつらめ


★11月28日(木)参加者募集中☆ 定員制限なし
2013年11月度ホメオパシー&人生をより良く生きる勉強会
※毎月最終木曜日開催、2013年12月度は12/19(木)です。


「あなたと健康 2013年特別号」無料配布してます、ご希望の方お声かけください

ハーブコーディアルあります。どなたでもどうぞ

湯たんぽ、あります。どなたでもどうぞ

"肌にも、地球にもやさしい“ココナツ”洗剤あります。どなたでもどうぞ

サロンはこちらから
自然療法リラクゼーションサロン アロマ日和
[PR]
by aromabiyori | 2013-11-26 14:02 | 自分探し | Comments(0)

親、兄弟、自分のこと ~兄弟のこと~

弟と私。

4つ下の弟だから、たまらなく可愛かったのを覚えてる。
昔のアルバムをみても、ぽちゃぽちゃまるまるとして本当に可愛い。

小さい頃は“お姉ちゃん、お姉ちゃん”と慕ってきて、いつでも連れて歩いてた。

小学校ミニバス、中学高校とバスケに夢中になっていたようだ。
全寮制の高校では、1年で寮生活をやめ、2年からは自宅通学してた。
その後、新聞配達しながら浪人生活1年、大学入学。

弟が就職活動してる最中、実家ではわたしの結婚騒動があった。
家族の中で唯一、中立の立場で話を聞いてくれた。
この時はありがたかった。


4人兄弟の末っ子で生まれたから、あんだけ厳しかった父も孫状態で接し、猫かわいがりしていた。
怒られている姿なんて見たことない。

母も多分寂しかったらしく、幼稚園入園して幼稚園からかえってきた弟におっぱいを飲ませていた記憶。
母の膝の上にはいつも弟がいた。

・・・

わたしからみた兄弟の性格

長男(4つ上)>まじめ、勉強得意、不器用、運動オンチ、抑えこむ、じっと耐える、言葉少な
次男(1つ上)>勉強苦手、足速い、食意地が張ってる、おしゃべり、抑えられない、耐えられない、すぐ逃げ出す
弟(4つ下)>勉強そこそこ、水泳以外の運動は得意、すべてにおいて適当に対処、考えが甘い、先を見通せない

同じ親なのに、こうも特殊なキャラが揃うんだよね・・

・・・

食べ物に関しては、いつも生存競争、自分の体におさめたモノ勝ち。
おやつも何事も四等分。
名前を書いて冷蔵庫に、それでも食べられちゃう。
なんど悔しい思いをして泣いてケンカしたことか。

子どもって親の経済状態をしっていると、洋服や文具、必要なものでも親におねだりも出来ない。
熱が出たときは、母から優しくしてもらえていっぱい気にかけてもらって、ミカンの缶詰めを食べさせてもらえるのが特別なことだった。

ただでさえ日々の生活が戦いなのに、恋をするようになると学校での兄弟の存在が益々うっとおしかった。
ひとりっこにいつも憧れてた。

寝るときはしっとりしたセンベイ布団、兄弟たちと母が川の字で
母のとなりにはやっぱり弟がいて、ずっとぺったりとくっついて抱きついて寝てた。

唯一の楽しみ。
寝るときに、自分の生まれたときや小さい頃のことを母に聞くこと。

「ジャンボ赤ちゃんで大きくてね~(わたし4310gね)首がすわっててね~、病院中大騒ぎだったよ。そうね~あんまり寝ない子だったわね~」

なんど聞いても同じなのに、この時間は自分だけの特別な時間で、すごく嬉しかった。
でも、兄弟が多いと親の記憶も混ざってしまうのが残念な感じだけど、
4人の中で一番大きく生まれたことだけが他の兄弟に誇っていたことだった。

おしゃべりな次男もよく母にくっついてた。
幼稚園の頃の写真をみても、母の膝の上には次男兄が、となりに私。
今と状況は全く変わらないね・・

長男兄は、父にいつも怒られてた。
全く反発することなく、嵐が過ぎ去るのをひたすら待つ。
その様子をいつも息を殺しながら怯えてみていた。
兄、とても気の毒で可愛そうだなって思っており、今あの状況を思い出しても暗い気持ちになる。

実家は20年前に建て替えたのに、わたしの夢の中では、わたしが小5の時に購入した薄暗い中古の古い家がいつも出てくる。
かなりのインパクトがあったのかな。
電気つけても薄暗くて、古臭く、冬は寒い家。
この家のローンや長男兄が高校進学することで出費も重なり、いよいよこの頃から母も必死に働き出して、あまり自宅にいなかった。
母のいない家は、寂しかったなぁ。

折をみて少しづつ記憶をたどっていきます。。
自分を癒す作業なり。

★11月28日(木)参加者募集中☆ 定員制限なし
2013年11月度ホメオパシー&人生をより良く生きる勉強会
※毎月最終木曜日開催、2013年12月度は12/19(木)です。


「あなたと健康 2013年特別号」無料配布してます、ご希望の方お声かけください

ハーブコーディアルあります。どなたでもどうぞ

湯たんぽ、あります。どなたでもどうぞ

"肌にも、地球にもやさしい“ココナツ”洗剤あります。どなたでもどうぞ

サロンはこちらから
自然療法リラクゼーションサロン アロマ日和
[PR]
by aromabiyori | 2013-11-26 04:07 | 自分探し | Comments(0)

小さい頃、自分がしてもらったように息子とキャッチボールをするのが夢だな~といってたパパ。

最近のチビは、なかなか上手い。
f0248161_1192218.jpg


義父がなくなってから、思い出すことが多くなったね。
あんなこともこんなこともしてもらったって。

・・・

義父と義母の別居が相当長かったから、夫婦の間には色々とあったんだと思う。
物心ついたときから3人で出掛けた記憶もないと。

うちの両親にはそれが到底理解できなかったし、別居していることを理由に結婚を猛反対されたり。
結婚する前も、結婚しても、チビが生まれても(父と母)別々で会いにいく。

そばに住んでいる義母からは、義父の好き勝手な行動や言動の話を聞いていたから、私は義母の味方をし、ずっと守っていかないとと思っていた。

戸籍上夫婦なのに、母を守ることもしない(お金も送らない)、息子の学費も知らないと。
逆に、たまに“金を送ってくれ”と言ってくると義母から聞く。なんだそりゃ。だったらなんで離婚しないんだろう?

酔っ払った勢いで、たまにうちに電話をかけてきて、逆に義母の悪口を言う義父をうっとおしく思い怒りが沸いたことも多々あった。
たまりかねて義父への怒りをパパに話したこともあったけど、聞いてるだけで一切何もいわなかった。

実際、本当の理由や事情なんて多分当人たちにしかわからない。

・・・

そんなこんなで
正直あまり良くは思っていなかったけど、父の日などの何か節目があるとチビの写真や手紙は送っていた。

けど、こんなふうに義父を思っている自分も嫌で、目の前の出来事は私の心の現われだと気付き、なんとか関係を良くしたいと思いはじめ、気付けば亡くなるまでの最後の1年間は、ただただハガキや手紙を送りつづけていた。

・・・

義父が亡くなり

わたしは
後悔も含め沢山泣いた。

パパも沢山泣いた。
「決して良い親とは言えないけど、オレにだけは特別優しい親父だった」と。
パパの心の中には、いつまでも優しく甘い甘い父が生き続けている。

「反面教師の部分も沢山あったけど、オレも親父のように接したい」って。
そんなふうにいってたっけ。

私はずっと義父を否定しつづけていたけど、亡くなってから始めて大事なことに気付かせてもらった。


頻繁に墓前に会いに行く。
いつも守ってもらってありがとう、おかげさまでみんな元気です。


だからね、チビとのキャッチボールは特別な思いがあるんだ。
夢のような時間。


たまに、9歳のチビも言うんだよ。
“ボクも子どもが生まれたらパパみたいに甘くなるんだ~”って。


こうやって想いは繋がっていくんだね。
姿は見えなくてもちゃんと確かに生きてる。

f0248161_11483543.jpg



★11月28日(木)参加者募集中☆ 定員制限なし
2013年11月度ホメオパシー&人生をより良く生きる勉強会
※毎月最終木曜日開催、2013年12月度は12/19(木)です。


「あなたと健康 2013年特別号」無料配布してます、ご希望の方お声かけください

ハーブコーディアルあります。どなたでもどうぞ

湯たんぽ、あります。どなたでもどうぞ

"肌にも、地球にもやさしい“ココナツ”洗剤あります。どなたでもどうぞ

サロンはこちらから
自然療法リラクゼーションサロン アロマ日和
[PR]
by aromabiyori | 2013-11-25 11:49 | 心のこと | Comments(0)

怒り再燃と長い1日

昨日の夜、無事母の足の手術が終わった。
15時からの予定が前の手術時間がづれこんだりで、結果17:00スタート、終わったのが19:30前。


あまりに遅れたので途中でチビも自宅まで迎えにいったり、私は病院に朝から出たり入ったり、午後からは待機時間がありすぎ、、正直へとへとだった。
命に関わることはないものの、手術前や手術後の母を見たらなんだかちょっと可愛そうになった。


・・

先週、手術日が決まったとき「(手術日は)オレは仕事が忙しいから行けないわ」とあっさりいっていた次男兄。

無事終わった旨を次男兄にCメールしておくと、即効電話がかかってきた。
終わったことを告げると「明日からリハビリなの?退院日とかもわかったの?」と。


コイツはどこまで自分中心なんだ
母が退院したらまた相変わらずコキ使おうとしてるのかよ
1日付き添った私へのお礼とか一言もないのかよ
今日だってどんだけ忙しいふりしてるんだよ、うちなんかよりもよっぽど近くて車で5分でこれんだろ、少しくらい顔だせよ
このやろう、ふざけんな!

と心の中で思った

・・・

昼間は昼間で、統合失調症の弟が顔を出したかと思ったら
母にお金をもらいにきた

日々こうやって二人は繋がってるようだ

情けないを通り過ぎて、アホらしくみえた
この状況でもらいにくるほうももらいにくるほうだが、渡すほうも渡すほう
バカな家族
バカな光景

弟は10年前に会社をクビになってから、バイトは多少してたこともあったものの、定職につくことも出来ず、結局ずっとこんなことを繰り返している


一体お前は毎日何をしているんだよ
病気を装ったただの怠けものじゃねーか
40近くになって、こんなことを繰り返して恥ずかしくないのかよ
この状況でお前は何も思わねーのかよ
と、心の中で思った


手術前の母の前で怒り狂うことも出来ないから平静を装ったけど、かなりムカムカしていた


術後、全身麻酔から覚めて朦朧とし酸素マスクをつけた弱々しい母の姿を、バカヤローなお前らに見せたかったよ


自分の嫌なことや面倒なことは、私や長男兄に押し付ける
結局お前らはいつもいつもいいとこどりだ

・・・

帰りの車
無事終わったことでほっとした私

ほっとすると腹立たしさがどんどん湧き上がってきて
思わずチビに少し話をしたら
「ま~、おっちゃん(次男兄)は、すぐ電話もくれたんだしさ・・いいじゃん・・」
と、上手に慰められた


日々、対等にケンカもし、わたしの心をガリガリと引っ掻いて感情を出させてくれて
こんな時は、優しく慰めてくれて、心をほわんと包んでくれる
君に沢山助けてもらってる


帰りは、超特別!
デニーズに立ち寄ってドリア食べて、ふたりで元気良く帰宅した


いつになく長い長い1日だった
“娘の一番長い日”・・なんてね


※ちなみに、長男兄家族は大阪赴任中のため今回のことは何も連絡はしておらず何も知りません。(母がそのように希望)


f0248161_3205736.jpg


★11月28日(木)参加者募集中☆ 定員制限なし
2013年11月度ホメオパシー&人生をより良く生きる勉強会
※毎月最終木曜日開催、2013年12月度は12/19(木)です。


「あなたと健康 2013年特別号」無料配布してます、ご希望の方お声かけください

ハーブコーディアルあります。どなたでもどうぞ

湯たんぽ、あります。どなたでもどうぞ

"肌にも、地球にもやさしい“ココナツ”洗剤あります。どなたでもどうぞ

サロンはこちらから
自然療法リラクゼーションサロン アロマ日和
[PR]
by aromabiyori | 2013-11-20 03:20 | 心のこと | Comments(0)

来るべきときが

月曜午後、珍しく次男の兄からわたしの携帯に着信が20件ほどあった。
あ、、これは母に何かあったなと。
仕事を終えて夕方かけなおした。


月曜朝方に実母が階段を踏み外し骨折、今日から入院したと兄はかなり焦って伝えてくれた。

その時のわたし
「くるべきときがきたな~」と冷静に思えた。


というのも、実家に母と暮らしている次男兄(未婚)と、統合失調症の弟の世話を母はずっとしてきていて。
兄と弟も犬猿の仲で。
その仲を取り繕ったり、2人の食事や洗濯、掃除、風呂と全てを母がお世話していた。


次男兄は悪いやつでは無いんだけど、思ったことをすぐ口にしたり感情を思い切り噴出するタイプ、それが終わると自分はすっきりしていて、それでいて仕事中の外面は良く、家族の中では自分本位、家族はかなり嫌な思いをしたことも度々ある。


そんな兄を理解できなかったし、理解しようとも思わなかった。
言いたいことを言っている兄を見て、いつもふざけんなって思ってた。


兄とは年子だったから、小学中学時代はわたしはいつもあいつが兄であるということが友達にバレルのがすごく嫌だった。
わたしが結婚するときも、母と一緒にわたしや旦那を責めまくり、とても嫌な思いをした。


ただ、チビが生まれて物心がついてきたら、面白くなってきたみたいで、実家にいくとやたらと可愛がって一緒に遊んでくれる。
チビは、精神年齢が一緒の?おっちゃんが大好き。


そんな兄は、統合失調症である弟をまったく理解できず、一時は責めまくったりもしていた。
弟は兄の存在が恐怖でもあったりするみたい。


で、母は、できるだけトラブルが起きないように食事の時間をずらしたり、ふたりに色々と気を遣って生活していた。


それをわたしは見ていて、母が楽しく生きることをしないと!と、ひとり旅行を進めたりしていたけど、やっぱり二人が心配で出来ずにいたみたい。


ずっと私が心の中で思っていたことは、弟の統合失調症が治る時は母が死んだ時だろうな。。。と。
兄が自立するのも弟が正常になるのも、きっとその時だって。


そしたら、この骨折。

ほ~~!!!
くるべきときがやってきた!って。

しかも、死とか母のギリギリじゃなくって「怪我、骨折」こんなふうな出来事としてやってきたんだ。
母には申し訳ないが、「そうきたか!!!それは本当に良かった!」って心から思えたんだ。


昨日火曜朝に、入院先に顔を出したら、案外元気そうな母がいて。
この気持ちを素直に伝えたら「お母さんも良かったと思ってるの~」って。
「しばらくゆっくりさせてもらうわ♪」って吹っ切れていた母がいた。


わたしの心が溶け出してきて、確実に状況が変化、見える景色が違ってきているよ。


今日も自分のこと家族のこと、ぺらぺらと話したいことがとまらなくってみんなに聞いてもらった。
自分、聞き上手なんてウソ、多分沢山しゃべりたいみたい。
わはは。


今朝の日の出も最高だったぜ♪
f0248161_14461751.jpg



★11月20日(水)参加者募集中☆  
年賀状をスクラップ☆ 2013年11月20日(水)!


★11月28日(木)参加者募集中☆ 定員制限なし
2013年11月度ホメオパシー&人生をより良く生きる勉強会
※毎月最終木曜日開催、2013年12月度は12/19(木)です。


「あなたと健康 2013年特別号」無料配布してます、ご希望の方お声かけください

ハーブコーディアルあります。どなたでもどうぞ

湯たんぽ、あります。どなたでもどうぞ

"肌にも、地球にもやさしい“ココナツ”洗剤あります。どなたでもどうぞ

サロンはこちらから
自然療法リラクゼーションサロン アロマ日和
[PR]
by aromabiyori | 2013-11-13 14:49 | 自分探し | Comments(8)

長野へ

かねてから(旦那さんの)実家で「みんなで長野に行きたいね~」って話していて。
これは何年か越しかで皆で話していて、去年まではなかなか実行できず終いだった。


今年の夢・目標に掲げたらね、ちゃ~んと叶って、先週末にみんなで長野方面にいってきた。
長野の上武石は、としちゃん(義母)&ちば(叔母さん)姉妹の田舎。

としちゃん、お姉ちゃん、ちば、ユキチ(シーズー犬)、そして我が家3人。

ユキチも、ここまでの遠い旅行は始めてだからサービスエリアで休憩しながらゆっくりと向かった。
午前中には早めに上武石に到着して、生家のあった場所や、ご近所をお散歩。
山々に囲まれて、田んぼや畑が沢山あって緑の多いところだった。

「ここに○○があったよね~、○○まだあったよ~、ここは○○さんちだね~」と姉妹二人で幼い頃の思い出に浸っている様子はなんとも感慨深かった。

その後、おそばを食べたり、釣り堀で釣りしたり、ダムの紅葉みたりと、ゆっくりペース。

宿では、夕飯食べて、みんなでカラオケしたり、トランプしたり。

翌朝も紅葉みながらユキチのお散歩したり、塩沢湖いったり。
紅葉がみごとな時期。

f0248161_4158.jpg

f0248161_412041.jpg



行く前は少しだけ心配していたチビも大喜びの旅行、何しろずっと笑っていた。
みんなが言いたいことを好きなように言うめちゃめちゃ自由で愉快な3人で。
チビはその会話を聞いて大笑い。

「じゃあしりとりしよう!」とか言ったら真剣に「エロしりとり」になってたりさ。
漫才のような状態で。
チビはゲラゲラ笑う笑う。(もちろん私もね)


としちゃん、お姉ちゃん、ちば。
小さい頃よる預かってもらったり、宿題をみてもらったり、勉強教えてもらったり、大学まで出してもらったり、マンションに住まわせてもらったり。

わたしは知れば知るほど驚く世界で幼い頃から沢山沢山お世話になってきて、20年前からは私も一緒に可愛がってもらっている。


ユキチも一緒、そしてみ~んな一緒、始めての親孝行旅行。

とても大喜びしてくれて、そしてきっと旦那さんが一番嬉しかったんだと思う。
「ようやく(親孝行)出来たね」って。
わたしはその様子を見ているのがすごく嬉しかった。
また来年もみんなで元気にいけるといいね~。

ゆくゆくは、大きな広い家でみーんなで愉快に暮らすことができたらなって思っている。
(これも夢・目標だよ)


★11月13日(水)参加者募集中☆  
2013年11月 あわの歌会@北国分 


★11月20日(水)参加者募集中☆  
年賀状をスクラップ☆ 2013年11月20日(水)!


★11月28日(木)参加者募集中☆ 定員制限なし
2013年11月度ホメオパシー&人生をより良く生きる勉強会
※毎月最終木曜日開催、2013年12月度は12/19(木)です。


「あなたと健康 2013年特別号」無料配布してます、ご希望の方お声かけください

ハーブコーディアルあります。どなたでもどうぞ

湯たんぽ、あります。どなたでもどうぞ

"肌にも、地球にもやさしい“ココナツ”洗剤あります。どなたでもどうぞ

サロンはこちらから
自然療法リラクゼーションサロン アロマ日和
[PR]
by aromabiyori | 2013-11-12 04:10 | 日々のこと | Comments(2)